1年を振り返って

2019年の8月10日からフランスに滞在し、不本意ながら前代未聞の疫病により渡仏してから1年が経ちました。

折角なのでこの1年の行動サクッとを振り返りつつ、目標や文化観の変化、この1年で学んだ事について書きます。

◆1年の大まかな行動履歴

◆目標

◆文化観の変化

◆学んだ事

◆まとめ

 

◆1年の大まかな行動履歴

2019年8月10日-8月24日

パリにホームステイで滞在

2019年8月24日

リヨン観光(1泊)

2019年8月26日

モンペリエ到着

2019年9月6日-12月18日

語学学校の第一セメスター

2019年12月18日-2020年1月18日

長すぎたバカンス

2020年1月18日-5月12日

語学学校の第二セメスター、そしてロックダウン発生(3月18日-5月10日)

2020年6月26日-6月27日

DelfのB2の試験

6月27日-現在

仕事探しと部屋探しを同時進行中

 

そんなところですね。

パリで出会った友達やホストマザーの事が思い出されます。

モンペリエ到着後はしばらく家探しに奔走していた…

 

しかし後半はロックダウンのインパクトが凄すぎて他の事何も書けませんね…

少し見返していたら、仲が良かったノルウェー人の友達と離れざるを得なくなった時の悲しさが蘇ってきた。「ああ、この時続くはずだった日常は失われてしまったんだな」という事を改めて噛み締めました。

 

◆目標

これと言って明確な目標を定めていたわけではありませんし、環境の変化もありましたが、少なくとも第2セメスターの終了時にDelfのB2を取る事を目標としていました。

結果的には落ちてしまったのは残念ですが、1年を通して勉強の仕方を学べたと思います。

恥ずかしい話ですが一時期とは言え人生で最も勉強したとも言えるので、いい経験になりました。

 

◆文化観の変化

これは渡仏前と大きく変わった事のひとつです。

日本の友達と久しぶりに話した時、「優しくなったね」って言われたのがその証拠な気がしています。

最初は私自身、日本文化に対して非常に批判的な考えを持っていて、外国は「理想の国」みたいな幻想がありました。ただフランスにいてフランス文化を眺めているうちに、それは真実ではないな、と気づくことが出来ました。

どんな文化でも同じ人間が築いて来た以上、そこに優劣はないのだな、と。

一見どちらかが優れている/劣っている様に見えても、それはあくまでも全体から切り離した一部であって文化そのものに優劣をつける事は不可能です。

それぞれの歴史や場所の成り立ち、気候、様々な環境の中でそれぞれの人間が生きるために築き上げてきた財産であり、そこには常に唯一無二の価値が伴います。

だから本質的にはその財産を何人も貶める事は出来ませんし、むやみに褒めたたえる事も出来ないのではないか。ただし、私たち人間はこれまで文化を築いてきた様に、これからも文化を築いていかなければなりません。

 

文化が完成する事が無い以上、常に文化に参加する者でより良くしていく必要があると思います。

ただし、その目的はあくまでも「より良くする事」であって、貶めるための批判や闇雲な称賛であってはならないと思います。

特に批判を行う場合は常に何がどう良くて何がどう悪いのか、明確な基準と理由をもって論証的に行うべきだと、今は感じています。

そして文化に存在する問題は文化に参加している当事者らでしか解決できません。個人的な苦悩がその人にしか解決できない事と同じです。

だからこそ、活発に、真摯に、議論して発展していく必要があると思っています。

 

渡仏前は私の日本社会での生きづらさや問題が、日本文化の欠点であるかのように捉えていましたが、それはあくまでも自分の問題であって文化の問題ではありませんでした。何故ならフランスに来ただけでは私の問題は解決しなかったからです。確かにフランスに住んで生き易くなった部分もありますが、それは一部ですし、言葉の壁や文化の違いを考慮すれば誤差の範囲です。

生き易い文化・生き難い文化というのは存在しますが、優れた文化・劣った文化というのは存在しません。

 

以上が私の文化観の変化です。

 

◆学んだ事

学んだ事は大体以下の3つ。

・他人の立場になって考える事

・勉強の仕方

・論証の方法

 

・他人の立場になって考える事

これはかなり大きいと思います。文化観の変化でも触れましたが、優しくなった理由だと思います。

世の中には実に様々な背景・立場の人たちがいる事を克明に認識するようになりました。そして人々は望む・望まないに関わらず、自分を取り巻く環境に可能な限り順応・適応し生きています。そこに対して人が良し悪しの評価をすることは出来ません。

また人々の間には雲泥万里の隔たりがあります。私たち人間はだれ一人として全く同じ経験をすることが無く、また様々なタイプの言語を介して気持ちや意思を伝える以上、他人を理解することは出来ても完全に共感する事は出来ません。そういった人間ひとりひとりの決して交わる事のない絶対不可侵な精神世界の存在や、人間というのは自分の意志で人間に成るのではなく、環境に築き上げられるのだな、という事を認識しました。

 

これは今後他人とコミュニケーションする上で、かなり重要な学びになったと思います。

 

・勉強の仕方

これは今まで本気で勉強してこなかった私自身の問題でもありますが、ここへ来てやっと自ら勉強する、という作業について知ることが出来ました。

特に文法の勉強は私の学習能力を向上させるのに役立ちました。ただ問題をなぞるのではなく、「何故そうなのか」という背景のロジックを知り、練習を積み重ねる事で「身に付く」のだな、という体験ができました。

例えば、文法の穴埋め問題の意味がこれまで全く分からなかったのですが(実用性という面で人の書いた文書を穴埋めるという事は有り得ないので)、学習を進めるにつれて理解度を測るためにこういう形式になっているんだな、というのも理解出来るようになってきました。

 

また問題の意味が分からない事もありました。これは仏語の問題だけではなく特に私自身の言語能力の問題でした。質問に対してどう答えるのが適切なのか、明確なつながりが文章のどこにあるのか、という事を学ぶことが出来ました。これはオンラインで家庭教師をしてくれていたジョアンナのおかげです。

 

勉強して「身に付ける」という本質的なやり方や概念が分かって来たのは、かなり大きな収穫でした。今までは服を買いに行く服が無いというような、勉強したくてもやり方が分からない、という状況をここ最近になってようやく認識し、ある程度のレベルまで克服できたのではないかと感じています。

 

・論証の方法

勉強のやり方に通ずるところがありますが、自分の意見を主張する方法を学ぶことが出来ました。

まず思っている事や結論を話し、それを説明する。シンプルな事ですがなかなかわたしにとっては難しい作業でした。

自分にとっては自明のことであっても、相手にとってはそうではありません。例えばフランスで外国人に日本文化について説明する時は尚の事、1から説明する事の必要性を痛感します。

なので自分がなぜそういう考えに至ったのか明確にする、この作業に慣れる必要がありました。

 

今こうして文章を書いていますが、この学びが無ければもっと散漫とした感想文になっていたかもしれません。

また文章の構成の方法なども学ぶことが出来ました。コミュニケーションの型式は非常にコミュニケーションを円滑にしてくれます。

 

例えば日本の学校では「こうしなさい」と言う事があっても多くは文脈から読み取ったり、場合によって忖度して解釈します。でもこれは単に雑なコミュニケーションです。言われる方が勝手に納得する事を期待しています。理由は明確にされません。

 ではどうしたらいいのか。

「こうしなさい、何故ならば...」と続ける必要があります。そうでなければその人の考えに同意できるのか出来ないのか、出来ないのならば何故なのか、というところまで分かりません。「こうしなさい」だけでは理由が分からないので、反駁する事は難しいでしょう。

理由を説明しない要求は対話を伴わないただの命令です。相手が何を考えていて、自分はそれに対してどう思うのか、といったコミュニケーションは成立しません。

 

こうした論理や論証の基本的な部分や、コミュニケーションの本質は対話にある事を仏語を介して学ぶことが出来ました。

 

◆まとめ

全て書き尽くすことは出来ませんが、主に学んだ事は以上の3つだと思います。

コロナウィルスのおかげで不本意ではありますが、まだあと少なくとも1年ほど滞在すると思うので、今後も学びを深めていきたいと思っています。

 

自分のやりたい事が達成できるのか、また達成した後はどうするのか、などなどまだ分からない事や自分で切り開かなければならない事が沢山あります。

そういった中でも如何なる時も自分を信じて、不屈の精神で乗り越えていけたらいいな、と思っています。

 

元々集中力が続くタイプでもないですし、情緒も不安定な所がありますが、今後も引き続き、自分のベストを尽くしていきたいです。

 

 

以上、1年の振り返りでした。