2021/4/1 語学とデッサン

もう4月か…

◆本日の勉強時間

2h30m

リスニング 1h30m

シャドウイング 30m

作文 1h

リスニングは昨日の続きで、語彙を拾い終えたので実際に聴いてみたけど正確に聴きとれるまで繰り返すと10分程度でも1時間くらいかかるし、非常に疲れる。完全に単語の意味は分かってても脳が追い付かなかったり、普段聞かない単語だと活用も相まって全然聴き取れない。あと今教材にしているヤツはリポーターのフランス語が結構訛っているので全然聴き取れない時がある。そこのイントネーション上がっちゃうの?みたいな。

シャドウイングはなんやかんや最近やってなかったけど、仏語の流暢さに影響が出て来ている気がしたので再開した。普通に1日30分口を動かすつもりでやるだけでも全くやらないよりは結構違う、筋トレみたいなもんかな。

作文の方はあまり進んでいない。やはりSF映画とかだと抽象的だったり色んな設定を説明する必要があるので非常に難しい。今週紹介しようと思っている映画は以前フランス人に説明を試みた事があったけど、ほとんどまともに説明出来なかった…

文章でも難しいので無謀だったんだな。

 

日常の方は午前中勉強を進めたものの、午後は全然モチベーションが湧かなかった。

買い物を明日にしようと思ってたけど、どうせ勉強しないならと思って散歩がてら買い物に行った。

適当に歩いて公園で芝生に座ってボーっとしてから、スーパーに行って帰って来た。

ご飯食べてから勉強しようと思ったものの、結局ダラダラしてしまったのでもう絵を描く事にした。

それで1年前に描いた絵と同じ人物を描いてみたんだけど、結構上達していた。

 

ここでふと思ったのが、語学の勉強はいくらやっても出来るようになった気がしないのに、絵に関しては全然勉強して無いのに上達している気がした。

この体感の努力量の違いって何だろう?っていうのを相違点・共通点に分けてちょっと書いてみる。

目的としてはどうにかして絵に関する上達の暗黙知を語学の勉強に活かせないか、というところ。

 

◇語学の勉強とデッサンの相違点

まず絵の方が認識している努力量が圧倒的に少ない。

絵の勉強って例えば何かというと対象の構造を分析するだとか、他人の描き方を見て真似するだとか、とにかく描いてみるとか、そういうものが当てはまる。

こういう観察を含めたインプットは私の場合、日常的に割と無意識にやっている。インスタで他人の絵や描き方を見たり、授業中ノートに落書きしたり…

一方で語学の方はというと、もちろんラジオやニュースで無意識にインプットしているときもあるけど、殆どは机に向かって作文や読解・聴解をしている時が殆どだと思う。

とすると、労力を伴う努力として認識される量が変わってくるので絵の方が少ない努力でより上達した様に感じられるんだと思う。

 

次にやるべき範囲に違いがある。

私の絵の場合は鉛筆で描きたい物を描くだけなので、練習にしても人物や背景と言った特定の物に絞ることが出来る。またアウトプットの手段も基本的に鉛筆のみなので練習するべき事は割と単調。

語学はそうも行かない。もちろんベースとして強化したり学習に偏りを持たせることは出来るけど、基本的には4つのインプット・アウトプットを意識的に伸ばす必要がある。またテーマも1つに絞れる事もあるだろうけど、語彙で言えば日常語やニュース、専門的な分野も含めると要素が多岐に渡るので圧倒的にやるべき範囲・量が違う。

 

あとこれは非常に個人的な話だけど、言語化が元々苦手な私にとっては単純に絵の方が視覚的で分かり易い、というのもあると思う。

 

語学の勉強とデッサンの類似点

絵の方も語学も、単純に量をやれば上達するかというとそういう事ではない。

一応メソッドや効率良く上達できる方法があって、それを試しながら自分のやり方に取り入れていく、という点は同じだと思う。

ちゃんと考えてどんな風な構造でどう機能しているのか、他の人はどんなやり方でどう表現しているのか、そういう観察がある。

 

 

とりあえず思いつくのはこんなところかな…

以上を踏まえた結論として、デッサンから語学学習に取り入れられそうなところは語学学習を勉強として認識しない様なやり方でやる事、そして日常で語学について観察・考察する事、なのかな。

結構月並みになっちゃったけど、なんとなくコツが分かって来たような気がする。バカロレアガイドの精読があれだけ続けられたのはやはり「勉強感」があまりなかったからなのだろう。

 

そんなところかな…

もう遅いのでこれくらいにします。もしまた何か思いついたら書き足すなり別記事化するなりしようかな。