2021/7/22 年齢の違いと内省
遅れあそばせ。
◆本日の勉強時間
勉強会 2h
家探し
まあ全体的にそんなに進捗してない。
しかし相変わらず大家さんいる時はエアコンが使えないのであまり眠れない。
勉強会は結構ラフな感じになって来たけど、モチベーションや現状のタスクを感が見えるとちょうど良いかな。
家探しの方は有料の仲介サイトに登録したら結構アプローチが来た。
まあ探してない地域というか、大家さんに避けるべきって言われた地域からポツポツ来ている感じだ。家賃は安いけどね。
午後は日本の友達と通話した。
相変わらず日本の友達と話すと長くなる…
私より8個くらい年下なんだけど割と大人びていて若い割に素直だし、とても話易い。
でも調子に乗って話していると、自分のエゴが目覚めることに気付いた。
自分の知見を少しでも活かしてほしいと思って語るけど、コレは自身の承認欲求の延長線上にある事を戒めておかねばならない。
そして言葉のみで語るという事は思ってるほど簡単では無いんだよね…。
年齢が離れていると経験から来るニュアンス的な感覚が違うために用いる言葉に微妙に乖離を感じるというか、もっと慎重に言葉を選ぶ必要があるな、と思った。
自分の言いたい事がどのように伝わるかまである程度相手の目線に立って考えたいし、そうする事でもっと正確に伝えられるのかな~なんて思ったり。少なくとも、私の目線を借りて何かが見える様にするのであれば、段階を踏んで、より俯瞰点から見える私の方がある程度コントロールすべきなんだよな。
まあそういった反省点が幾つもあった。
あとこの会話からのみ学んだ訳じゃないけど、最近分かって来たのは「内省」は誰も強要出来ないという事。
頭の中で何を考えている分からない以上、内省するかしないかは本人の問題なんだよな。
そして内省というのは知識を参照する事では無く、自分の頭で考える事なんだよな。
知識は考えるためのフレームワークとして機能するので、内省を助ける事はあるけど、知識を身に付けたからと言って内省能力が身に付くわけではない。
「自分の頭で考える」というのはそういう事で、しかもそれって殆ど再現性が無い。
何故なら「考えなさい」と促されて考えることは内省では無いし、知識を参照してそこから客観的に何を考えるか、あるいは何を考え出すか、でもない。
あくまでも主体的に自分の行動がどうであったのかを省みる行為だ。
宗教がそういった内省の再現を試みているけど、今日まで成功した例は存在しない。
それに人間は自分の経験、ひいては肉体に縛られて物事考えるので、それを超越して深い内省を得る事は難しい。
勉強などの分かり易い賢さと同じで、資質に左右されてしまう。
なんかそういう様々な気付きがあった会話だった。
そんなところでした。