2021/8/21 ひらめき

さて。

◆本日の勉強時間 0h

なんもやってないけど、ちょっと発見があった。

 

今日は定期の料金調べたり、住む家決定したりした。

家は結局元カンボジア人のおじさんの家にした。

決め手はまあ、色々考えてはみたけどフランスにはまだしばらく滞在する予定だし、フランスで元カンボジアンのオジサンと住む機会なんて人生でそう何回も無い筈だし、嫌なら引っ越せば良いし、友達や恋人が出来て一緒に住むかもしれないし。

そういう事を考えてみると、別に一緒に住む人がネイティブかどうかはどうでも良いのかな、と。普通にストレスも少ないし。

決まった事を伝えるために電話したら「俺の部屋が一番良かったんでしょ?」みたいな事言われて面倒くさいなって思ったけど。

まあそうやってガツガツ来る人といると自分だけじゃ見えない世界が見れたりするので面白いんだけどね。

 

大きなイベントはそんなところかな。

 

 

◆ひらめき

さっきもう寝ようと思ってベッドでゴロゴロしてたら、なんか急に勉強法に関するインスピレーションが湧いて来たので、書き留めておく。本当は日記を明日書こうと思ってたけど、面白い気付きだったので居ても立っても居られなくなった。

 

これまで試験、とくにDelfのために自分なりに必死に勉強して来たけど、その時期を思い出すと泣きたくなるくらい試験のための勉強は嫌いなんだよね。それに主観的にはそれだけやったけど、客観的に勉強時間で言えば受験生なんかには遥かに及ばないと思う。

同時にそういう勉強が得意な人達がいるのが凄い不思議で、どうしてあんなに何時間も夢中になってロボットみたいに勉強出来るのかずっと不思議だった。

今日その理由のひとつが分かった。

 

よくモチベーションの維持には「具体的な目的が必要」とか「成功した時のイメージ」みたいなものが言われてるけど、それがどういう事なのか理解出来た。

こういう話で想い浮かべるのは勉強しながら「私は○○大学に合格して~」みたいな事を考えるという事だけど、それって要するに陶酔してるんだよね。

そこに向かって努力してる自分が好きなのか、それともイメージの中にいる自分が好きなのかは分からないけど、いずれにせよ酩酊状態だと思う。

 

これは例えば「人生とはなんであるか」とか「どういう風に生きるのか」とかそういう事とは全くかけ離れた考え方で、「大学に合格した後どうする」とかイメージの中の自分が「どういう文脈でそこにいるのか」みたいな事を全て置き去りにして、勉強に夢中になるために妄想に酔いしれるんだろうな、と。

当然その夢を叶えるために全てを抑制しているので、それが叶わなかった場合のダメージがかなり大きい。

 

したがってアルコールの様な作用を持つ人間の想像力は確かに、自己愛を増幅させ、現在の感覚を鈍らせ、苦悩を軽減し、通常では不可能な事を達成させる可能性を秘めている。副反応として酷い二日酔いをもたらす可能性も高くはあるが…

とにかくこれがモチベーションの維持にビジョンが重要とされるゆえんだと思う。

 

そこで私が思い至ったのは、モチベーションの本質はこういったビジョンにあるのではなく、「自己愛」の方にあるのではないか、という事だ。

ビジョンを持つことを推奨するのは、それが自己愛を増幅させ、やりたくない事をやる時の苦悩を軽減するためだ。

ではそもそもやる事為す事全て、自分を好きになれるとしたらどうだろうか?

抑制する事なく、つまり酷い二日酔いのリスクもなく、延々とやり続けるに違いない。

 

私の場合は絵がある程度それに当てはまるが、絵を描いてる時に「絵を描く事にどんな意味があるのか」とは考えない。当然到達したいイメージもない。

では何があるのか。単純に絵を描いている自分が好きなのだ。

絵を描いている間、何も考えていない。

夢中になっているのでこの状態を「自分が好き」と言えるか微妙ではあるが、少なくとも嫌いな事に対して無我夢中にはなれない。

 

したがって勉強する際も、教わったり身に付けた勉強法や自分の経験、効率などに対する拘りを全て捨てて、自分が自分を好きになれるやり方で学んだら良いのでは…?

 

例えば語学学習者が目立ちたがり屋であるなら、人前で外国の歌を披露してみても良いし、人と違う事をするのが好きなら、外国語の本を後ろから読んでみるのも良いだろう。料理本のレシピを全て暗記してみても良い。食材の名前を日常で使うかどうかなんて関係ない。

重要なのはプロセスに酔い、それをやっている自分を好きになって、無我夢中になる事だ。

その陶酔が勉強を導くのではないかな、と思う。

 

だから1日十数時間も勉強出来る人は自分に酔っているんだと思うかな。

そうやって前進して向上する自分が好きなんですよね。

 

そういう所を踏まえてみると、努力が得意な人に幼稚な人が多く感じられるのは自己愛の大きさに依るものではないか、という考え方も出来るよな、と。

この辺は今回の話を直接関係ないけど、いろいろな所で釣り合いが取れる気がするんだよな。

 

そんなところでした。