2021/4/13 代償、絶望、希望、未来

いつも遅くなるな。

◆本日の勉強時間

授業 2h

シャドーイング30m

色々 1h

授業は1h復習、1hテストだった。やはりオンラインのテストは辞書を使ったりできる一方で読解力が制限されるな~という感じ。文法のテストだったし機械翻訳とかも意味ないし。しかし我ながらやる気ない…大学落ちてたら語学学校のディプロムなんて…という投げやりな性格が発動している。あまり良くない。

午後も勉強したけど全然ダメ。作文に手を付けてみたけどちょっと難易度が高くて紹介する作品選びだけで時間が過ぎてしまった。一日中散漫としてたけど一応フランス語の動画見たりもしたのでこれくらいだと思う。

あともう一つ、今後は次の日のタスクを前日の日記で書いてしまおうと思う。極力タスクに着手するまでのハードルを下げておく目的…着手するまでのハードルって何?って思ったら、多分勉強を開始するまでの考える作業なんだよな。「どれやろうかな」とか「どんな風にやろうかな」とか考えてると一向に着手出来なくて時間だけ過ぎてしまう。

という訳で…

明日の目標は授業もあるので以下にします。

・作文の作品選定

・リスニングの単語拾い

・スピーキングのコツまとめ

目標時間:4h以内

勉強はそんなところです。

 

さて日常ですが…

授業終わった後は買い物行った。昼飯をほうれん草とニンニクベーコンのサラダにしたらすげー美味かったんだけど、ついでにかつて働いていたレストランのメニューにほうれん草とベーコンのパスタがあった事を思い出した。

午後は無限にダラダラしてた。一応動画見たりして、ネットフリックスとかでフランス語の映画を見たりしようと思ったけど料金が気になって諦めた…YouTubeの無料で見れる映画も覗いてみたけど、ショボい上にフランス語吹き替えなので雰囲気無くて見る気が無くなってしまった。

そして夜飯はほうれん草とベーコンのパスタにしたけど、美味かった…でもベーコンというよりもラードンと呼ばれるベーコンの細切れみたいな肉だったのでちゃんとしたベーコンならもっと美味しいかも。

 

飯食った後は日本の友達と話し込んだ。

彼は高校からの友達で気の置けない仲なんだけど、相変わらず愚痴を聞いて貰ったりしている…

今日ちょっと思ったことがあったので軽く書いてみる。

 

彼と話していて1つ気付いた事があった。東南アジアを一緒に旅行した時の話になって、彼は多分軽い気持ちで「英語を勉強するか~」と言ってたんだけど、ちょっと困惑してしまった…こういう気持ちは今までなかったなあ、と。

高校は本当に底辺で勉強しない人たちの掃き溜めだったので、当然彼も勉強は嫌いだしそういうのに耐えるのが苦手な人間で、辛さの伴う勉強なんてまずしないというより出来ない。その上で人生上手く行っていないと感じている様なんだけど、凄い上から目線な事を言うと、普通に怠惰に見えるし何かお金を稼ぐ才能が無い事は分かり切っているので、何か上手くやりたいなら相応のリソースを割くべきだ、と思ってしまう。

そういう中で「英語を勉強する」というのを聞いて本気で言ってるのか冗談で言ってるのか全然分からなくなってしまった…以前なら笑い飛ばしてノリでふざけ合ったかもしれないけど、状況とか色々考えるとそういう気にはなれなかった。

それで何となく思ったのは、やはり勉強も苦労したからって報われる訳では無いな、という事。

例えば今回みたいに自分が苦労してるからって彼を見下す事は多分違うし、彼が何か趣味で取り組んでいるのは知っているけど、今どんな風に日常を過ごしているのか全く知らない。そういう目線を見失いそうになる…

更に私はフランスに来て語学の勉強してるけど、きっとこうしている間にも何かを失っている。人によるだろうけど、家族や友達と過ごす時間、日本でのキャリア、日本文化社会との乖離、恋人…常に人生には代償が伴う。代償失くして都合良く手に入る物は何もない。もちろん人によって生まれた時に持っているものは違うけど、死の前で自分の人生をどう告白するか?と思えばそんなに違いは無い、そこに物質は介在出来ない。

私がフランスに来た頃は勉強が目的で、フランスと日本を繋ぐために何かしたい、などと思っていた。フランスに来て上手くやれば何か起きるだろう、みたいなかなり抽象的な気持ちでいたし、自分に何か出来ると思っていた。

でも思っていたよりも文化の溝は深かったし、歴史やパンデミックに翻弄されていつの間にかどこにいて何を目指しているのか良く分からなくなった。多分以前の様な希望は失ったし、もう戻れないと思う。

恐らくこういう中で絶望する人と希望を捨てない人がいるんだけど、どちらにもなりたくないな、と思った。私の考えでは絶望するか希望を持てるかなんてその人自身の能力と境遇によって変わってしまうもので、夢を語る事は代償の過小評価で、絶望を説く事は代償の過大評価になる。人によっては逆もあり得るけど、何れにせよ地獄に呼び込む事には変わりはない。

 

そしてこれは余談だけど本当につくづく感じるのは、勉強が何かをもたらす訳じゃなくて自分の主体性が何かをもたらすんだと思うし、そうやって全てを自分自身に委ねることが出来れば勉強したかしてないかに限らず現実を受け止める事が出来るんじゃないかな…

勉強に限らず人間は親になる性質上、委ねられない生き物だなと思っていて、例えば環境問題について孫やひ孫の世代を気にする人たちがいるけど、未来の世代には未来の問題があって、きっといくつかの現代の問題は解決されているだろうけど、新しく認識される問題もある。だから未来の問題は未来の世代に任せて、我々は今日を誠実に生きるべきだと思うんだよな。

今日を精いっぱい生きる事が誰にでも出来る社会貢献だと思う。

 

勉強しないで精一杯生きてない私が書くのも微妙な感じがしますね…笑

しかし読み返すとだいぶ胡散臭い酔っ払いやな笑

 

散漫と書きたい事を書き殴りましたが、今日はこんなところでした。